その他

2019年8月19日 (月)

『海上花列伝』を読んで

 このあいだ下鴨神社は糺の森での夏恒例の古書祭りに行ってきて、買ってみた中国古典文学体系の『海上花列伝』。中学・高校のころは手にとってはみたものの面白くなくて読まなかった、―『板橋雑記』とかは喜んで読んだくせに、―のだけど、今になって少し読んでみたら、ちょっと面白そうなので買って帰ったのだけれど。

 感想としては、最初に言ってしまえば、小説としては大して面白くもない。ストーリーはあってないようなもので、―最初にある田舎出身の青年が上海(当時は清の時代、シャンハイは外国人居留地として栄えていた)に出て来て一旗あげようとする。が、たちまち都会の華やかさと色町の遊びの楽しさに心をうばわれ、最初の目的だった就職運動なぞうち忘れ、遊び回るうちに文無しの乞食同然に落ちぶれてしまう。故郷に彼がそういう体たらくになって行方不明だと連絡が行ったので、老母と妹とその友人の娘が彼を探しに上海にこれまた上ってくるが、妹の友人の親戚(血のつながりはない義兄弟のようなものだが)の若者に偶然出会い、たいそう親切にもてなされ、一軒家まで借りて住み着くうち、ずるずるべったりに一家も(行方不明の兄はすぐ見つかった)上海に居座ってしまう。が、このままでは生活費がないというので、妹と妹の友人とは芸者(個人経営の遊女、自宅で客をとるより決まった馴染みと同伴して宴会に出ることが多い。上海の経営者や官吏は毎日のように宴会があり、宴会には馴染みの芸者を呼ぶのが通例)になってしまう。まもなく妹には超エリートの貴公子の客がつき、玉の輿目前かと思われたのだけど、貴公子は上海から故郷に帰ってそれきりになり、妹は悲しみに打ち沈む。―と、このストーリーのあいだに、10何人かの男女が入れ代わり立ち代わり現れ、本筋とは関係なくいろんなことが起こる、それをいろいろ書いたのがこの小説の体裁であると思えばよい。

 上にあげたストーリーだけ見ると、少しかわいそうな感じもないではないけれど、実際に本を読んでみると、むしろ腹立たしくなってくる時が多い。というのが、かわいそうなことになる人物がいても、たいがいは自分で種をまいたか、あるいは観察眼がなくてお先真っ暗だったから。乞食のように落ちぶれる青年は、一度は上海にいる身内のおじから故郷に帰る船に乗せられるのだが、歓楽の味が忘れられずに性懲りもなく上海に逃げ戻り、そこでさらに落ちぶれる。その兄を探して上海にやってくる妹たちも、兄を思うためというより、上海で遊んでみたいという気持ちに動かされている部分がかなりに強い。親切な親戚の若者(実は尻軽な女好きの坊っちゃん)に気前よくもてなされ、一軒家を安い家賃で世話してもらった老母はすっかりそれに気をよくし、あんな者を信用してこんなところにいてはいけないという弟(先に落ちぶれた甥を船に乗せたおじ)が旅行費を払ってやるから故郷に帰れといっても聞き入れないし、芸者になった(それも泣く泣くというのでなく、借金返済を迫る友人を見返すため)妹は御大家の跡取りである名士の貴公子が妻として自分を迎えてくれるものと信じて疑わない。―読んでいると、よくもこれほど自分に都合のいいよう物事を考えられるものだとあきれるばかりである。

 また、そのほかの登場人物たちというのも、一見いかにも洗練された都会人と見えるのに、よくよくその行状を読んでいくと、鼻持ちならないやつであるのがほとんどと言ってよい。最初から酒飲みで女好きとハッキリ描かれている人物はむしろかわいらしいくらいで、ほとんどの人物は虚礼にこだわり、文雅を気取り、体面ばかり気をつけ、気づいたことや聞いたことがあっても容易に口にせず黙っている。風流人士をもって任じていても、あくまで趣味の範囲内で、名士同士の礼のやり取りとなると、従来のしきたりから半歩たりとも外れようとせず、そのために苦しむ者がいても意に介さない。そういう”上流人士”が集まって、お互いに褒めあい謙遜しあっているさまこそケタクソ悪いというもので、これに比べると、手管をつくして無知な旦那から金を搾り取る芸者のほうが、よほど正直で爽やかに感じられるほどである(正直、『海上花列伝』の作者も”上流人士”に近い気がする。自分がいちばん興味のある、いちばん馴染み深い方面だからこそこれだけ詳しく書けたのだろうし)。

 こういう人間たちは、しかし、現在でもたしかに存在している。中国のほうが少々オーバーで、少々派手であるというだけで、日本にだってどこにだって、どうして今でも盛んにその同類たちは活動している。口では綺麗ごとを言いながら我が身がおさまらない人物、偉い人にはすり寄って礼儀を尽くしながら下々にはあいさつさえしない人物、面倒なことは見ざる聞かざるで通しいよいよどうにもならなくなると誰かただ一人の責任にして処分して済ます人物、―しかも、それで自分は高等で上品だと考えている人物、―そういう人間はうよいよいる。だから、小説としては『海上花列伝』は面白くも何ともないものだけれど、そのような人間の醜態を明らかに晒しているという点で、貴重な価値があるといえるかもしれない。

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2019年7月 7日 (日)

作成ステッカー比較

 このあいだ、zazzle(アメリカのドロップシッピングサイト)と日本のメーカー(グラフィック㈱)とでステッカー/シールを作ってみたので比較。

              Comp1

 一覧。左3つがザズル、右ひとつが日本製。

 写真は、ザズルのは最小サイズ(エクストラスモール)一枚と小サイズ(スモール)二枚。日本のは、最小サイズ(A7)一枚。ザズルはこの3枚で2,330円(うち送料700円)、日本は同じもの10枚(いちばん長い5日納期)2130円(送料無料)でした。

               Comp2

 ザズル(左)と日本(右)の比較。写真だとわかりづらいけど、日本製のほうがシャープでハッキリ。ザズルのはちょっとボケてる感じ。特に三毛猫の目鼻口あたりが見づらい…これは色味も関係してるかもだけど。

 色味といえば、これも写真じゃわからないけれど、実物は両者とももっと黄みがかかった寒色系になってる。入稿はRGBだったけど、印刷はCMYKだからだろう。気になる時は、入稿前にチェック・調整しといたほうがいいみたい。なお、日本製のの台紙色は、ザズルみたいな純白ではなく生成り色。

               Comp3

 ザズル3枚衆。まんなかのいちばん小さいサイズのやつが一番いいかも。ザズルに関しては、刷り上がりにシャープさが欠けるようなので、絵柄は大きければ大きいほどいいのかもしれない。

 100均なんかで売っているシールをイメージしていた私には、ザズルのシールでは値段と製品のかけへだてに不満もあったけれど、考えてみれば、ザズルのは「シール」じゃなくて「ステッカー」。最近じゃ日本でもシールと言わずステッカーというのかもしれないけれど、その性格はだいぶん違う。前者は紙で、小さくて可愛くて、ノートやカードに貼って遊ぶものなのに対し、後者は防水で、耐久力があって、警告とかメッセージとかを伝える派手なデザインのもの。suzuriやpixivで作れる「オリジナルステッカー」は、そこからメッセージとかの実用性を省いて、デザインに重きを置いたものだけど、たしかに「ステッカー」元来の性格を有している。一方、私は「シール」が作りたくて、だから1シートに独立したデザインが複数個つくれるザズルに手を出したわけだけど、できた製品はやっぱりイメージした「シール」じゃなかったみたい。

 だいたい、アメリカに上のような「シール」と「ステッカー」の違いがあるかということ自体怪しい。私の考えに過ぎないけれど、あちらでは基本的にぜんぶ「ステッカー」で、だから1シートに小さな独立したたくさんのデザインがあってお得、とかいった概念がそもそもない(文字のデザイン、タイポグラフィーは別として)。それは日本と同じだろうけど、しかし「シール」の概念がないだけにいくぶん「ステッカー」がそれを代用している部分もあるようで、たとえば防水性のない、耐久性の貧弱な室内向けのステッカーなどいうものも存在している(上のザズルのなどはまさにそう)。総じて、あちらのステッカーというものは「頑丈なシール」もしくは「使い捨てステッカー」といった感じなのかもしれない。少なくとも写真で見た限りでは、日本のsuzuriやpixivのステッカーのほうがずっと頼もしげに、ずっと立派に見える。そう考えると、印刷が多少雑なのも納得できるというもの(パッと人目を引くのが狙いである以上、近寄ってデザインの細部をしげしげ見るとか、極小サイズをちまちま貼って愛でるとかいうシチュエーションは想定外だろうから)。

 よって、ザズルでステッカーを作成する時は、複数デザインならできるだけ大きなサイズで作ったほうがいいかもしれない(また、そのほうがのりしろ?切り取り線?が小さくなってデザインしやすい)。

 おっと、で、「シール」を作るのには、やはり日本のメーカーがいいかもしれない。―ただし、色味はCMYKで確認したほうがベター。それと、紙質とかツヤとかも検討したほうがいい(ザズルには透明・不透明以外の選択はないけれど、日本のメーカーには目移りするほどたくさんオプションがある)。お値段も上がるのだろうが、私は次作る時は、ツヤをつけてみたいなあ。

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2019年6月23日 (日)

zazzleでシール

 いつの間にか、ザズルでカスタム・シールが作れるようになっていた。



SueAndTamaによる

 少し前からこういうのが作ってみたいと思って、あちこちサイトを調べてたりしたので、何ともいいタイミングだった、というか、もっと早く言ってよザズル!

<このザズルのカスタムステッカー、すごいところは1シートあたり30個までデザインできるところ。上の写真だと、1シートに3つのデザインで、3つの独立したシールができてるわけ。まあシートが小さいとデザインが見えなくなりそうだけど。>

 なお、ザズルzazzleの紹介内容が、どうも他所で見ているとしっくりしないものが多いので、補足しておくと、ザズルはいわゆるドロップシッピングサイト。ドロップシッピングというのは、自分は在庫を持たずにネットショップ販売ができるというシステムで、どういうことかというと、運営サイト、たとえばザズルがTシャツだのマグカップだのといったベース商品を用意していて、ショップ主たる自分はその上に自分のデザインをほどこすことにより、オリジナルアイテムとして、それをわがショップで販売することができる。たとえば上の写真のシールは、いかにも本物らしく見えるけれど、これは製品のシールを実際に貼った写真ではない、―「出来上がりはこんな感じになります」というサンプルにすぎない、いわゆるモックアップ。ほんとに製品のシールが印刷されるのは、注文が入ってからのことで、そうするとザズルがシール工場にデザインの製品化を発注し、できあがるとそれを注文主に発送する。つまり、ドロップシッピングにおいては、自分が手をつけられるのは製品そのものではなく、その上に印刷する部分であると思えばよい、だからプリント・オン・デマンドという言い方もあるようだ。日本では、suzuriとかTシャツトリニティとかがこのタイプのサイト。

 ザズルは海外発のサイトだけれど、驚くべきはその取り扱い品目の膨大さ。ザズルを見たあとでは、日本のこの手のサイトが気の毒に思えてくるほど、それほどたいへんな品目がそろっている。まあこれは日本と海外の文化の違い、―ホームメイドを趣味とし、創意工夫を楽しみ、個性を発揮するのに情熱をかたむける土地柄ならではのことだろう。また、ザズルがおもしろいと思うのは、そうやって他人がデザインして販売している商品を、またまた自分がカスタマイズして購入することができること(デザイナー側で不許可にもできるけど)。だから、名刺やラベルシールなどは、気に入ったデザインにちょっと手を加えるだけで、すぐ「自分のもの」が手に入るわけ。しかも、ザズルでのデザインやカスタマイズが、これがまたおそろしく楽にできる。写真やイラストをアップロードし、拡大したり縮小したりし、決められた枠内に入れる、と大体これだけ。上のシールなら、デザインをアップロードしさえすれば、切り抜かれるラインまで自動作成してくれる。すべて視覚的にできるし、作りながらプレビューもできる。カラーフィルターも、フォントも、うるさいくらい種類がある。―サイト自体の操作性は海外のものらしく大味で、最初はイラつくところもあるし、自動翻訳が面妖なのもいやなのだけど、デザインソフトの優秀さは素晴らしいと思う。

 ドロップシッピングというのは、8割までは自分が経営主であるという満足を味わうためのものであり、あとの2割は自分で作って自分で買って他人にプレゼントもしくは自慢、とかいうのが多いのではないか。その点では、ザズルもあまり変わらないと思う、念のため。

 一方、買い手としては、海外(アメリカ)から発送されるというのが、高そうで時間かかりそうに思え、躊躇させられるところだけれど、意外に思ったほどではない、ということを私自身たびたび経験した。送料はたしかに割高だが、考えてみれば日本のネットショップだって、送料500円とか700円とかはよくある話で、それに比べて2,300円ほどしかかからないと思えば、気に入ったものを手に入れるための我慢代だとも言える。また、ザズルではまとめ買いでどんどん割り引きがつく品もあるし、週ごとのセールを利用すれば、20~40%も安く買える時も少なくない。配送時間も、一週間もかからない時が多い。もっとも、配送会社がアメリカのUPS一本槍で、日にち指定ができない(再配達時も!)のが難なのだけれど、数カ月前のときは、何もしないのにクロネコが夜再配達してきてくれた、―以前から提携はしていて、手配すれば配達交代してくれるのは知っていたけれど、どうやら最近は自動?で引き継いでくれるみたい。とすれば大いに心強い。

(追記:とはいえ、小さなシールたった1シートのために送料700円はいかにももったいない。また、新商品なのでか、今やっているシール類40%割り引きセールにも含まれてないし、ボリュームディスカウント(まとめ買い割り引き)にも対応してないみたい。だから、購入したい人は、もう少し時間をおいて、これらのサーヴィスが適用されるのを待ってからのほうがいいと思う。)

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2019年6月22日 (土)

ビー・ホテル

 ネットでたまたま、最近のサクランボやリンゴ農園では、受粉にミツバチ同様マメコバチというハチが使われているのを知った。

 マメコバチというのは、私も名前しか聞いたことがなかったけれど、『ファーブル昆虫記』の愛読者なら”筒や管に巣を作るハナバチ”といえばすぐさまピンと来るだろう。マメコバチというのは実は愛称で、ほんとうはコツノツツハナバチ(小角筒花蜂)というそうで、ファーブルがフランスの自宅の庭で観察したもののまさしく日本版。

 これはミツバチに姿のよく似た、しかしもっと小柄なかわいらしいハチで、社会性のミツバチとは違い、一匹一匹がそれぞれ自分の巣を作って卵を宿らせる。だから、女王蜂とか働き蜂とかいった区分はもちろんこのハチには存在しない。好んで巣とするのは細長い管や筒状になったもので、ヨシズやスダレの材料の葦がいちばん気に入られるもののようであるけれど、たぶん自然界では、それがない時にはちょっとしたもののひび割れや隙間などにでも営巣するのかもしれない、―『昆虫記』には、ファーブルは細いガラスの試験管を横にしたものをたくさん用意してそこに営巣させたのだけど、それにあぶれた大量のハチが、ファーブルの机の鍵穴だの、巻き貝のコレクションだの、別のハチが泥で作った巣の穴だのに大挙侵入してきたもので、すっかり閉口させられたくだりが見える。ハチはこの筒のなかに花粉の団子を運び込み、卵をひとつそれに産み付け、泥で仕切り壁を作るとその隣でまた同じことを、筒がすっかりふさがるまで繰り返す。だから、筒のなかには、5つとか6つとかの泥で仕切った小部屋があるわけで、そこに幼虫が各一匹ずつ住んでいるということ。幼虫は自分の花粉のお団子を食べて成長し、蛹になって、翌春羽化すると泥の仕切りを壊して筒から出て来る。

 このハチは(社会性じゃない独居性のハチはたいがいそうだけど)たいへんおとなしい。直接手でつまんだり握ったりでもしないかぎり、まず刺すことはないのではないか。それに、もし刺されても、たぶんミツバチとは比べ物にならないくらい痛さはマシだろうと思う(これもまた社会性じゃない独居性のハチの特徴)。まずこの点が、巣を刺激すると怒り狂って攻撃してくるミツバチよりずっと養殖には向いている点で、さらにまた、ミツバチより低温帯でも活動すること、冬は蛹で越冬するので管理に手がかからないことなどが、ミツバチよりすぐれた点だとある。また、思うに、養蜂ミツバチは外来のセイヨウミツバチがほとんどなので、在来のニホンミツバチと交雑して影響を与える(雑種になった卵は孵化しないが、そのぶんハチの人口?は低下する)のが心配されるけれど、もともと国産のマメコバチだとその心配がない(とはいえ、地方亜種との競合とか、さらなる調査が必要そうだけど)。ハチミツ生産こそ期待できないけれど、それ以外はいいことずくめな気がする。

 で、こんな素敵なマメコバチをもっとアピールするのにうってつけではないかと思うのが、ビー・ホテル。私もピンタレストで写真を見るまでは知らなかったのだけど、海外の園芸家?昆虫愛好家?のあいだではなかなか知られているようで、これは要するにマメコバチのような独居性のハチ(狩人バチ含む)のためのマンション。先のファーブルが作ったガラス試験管の”水晶御殿”などそのハシリだといえそうだけど、海外のそれは、説明されないとちょっとわからないほどオシャレでもあれば、芸術的でもあり、初めて見た人は間違いなくこれは庭のオーナメントのひとつだと思うだろう。

Bee2

 集合住宅風なのは、

Bee

 こうした材質を使うべきでないとか、これではハチの羽を傷めてしまうとか、専門的にいろいろ解説を加えているものもあり、その真剣さがうかがわれる。

Bee3

 これらの写真は、まったくの九牛の一毛に過ぎず、ピンタレストでなり、あるいはグーグルでbee hotelと検索するなりすれば、いくらでも画像が出て来る。お城のようなの、メルヘンチックなの、ほほえましいの、スタイリッシュなのと、実にとりどりで、たとえハチに興味がなくても楽しみに作ってみたいくらい。もちろん、マメコバチにはマメコバチなりの適正な寸法・条件・環境があり、さらに楽しみでなく実際的運用に資すにはこんな趣味的な規模ではとてもだめだろうけれど、しかし、マメコバチをまったく知らない人にも、これらのビー・ホテルは大いに美的に訴えるものがあると信じる。こんなポストのような、鳥かごのようなかわいらしい建物にマメコバチが出入りしているところを想像すると、何とも微笑みを誘われるではないか。

 マメコバチをアピールしたい方々、この案はいかがなものでしょう^^

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2019年5月 7日 (火)

品種改良と動物愛護について

 最近、家畜のイラスト、―牛とかヒツジとか―が描きたくなって、いろいろひと通り描いてみたのだけれど、その際、1種類でなくいろいろな種類のを描かないとバリエーション豊かになるまいと思い、ネットで調べては牛なら牛、ヒツジならヒツジを10数種類ずつ描いてみた。

 それで驚いたのだけれど、同じ牛、同じヒツジでも、まあ何とたくさんの種類があることだろう。牛はそもそも、コブ牛と牛とが学名も別の生き物だし、水牛にいたっては全然別物だという(雑種もできないそうな)。ヒツジときてはさらに、ウール用、肉用、乳用と三種にわかれていて、またウール用にしても、毛の太さだとか粗さだとかによって、どんな生地のためのヒツジかとかだいたい決まっているらしい。―もちろん、実際にはもっと融通をきかすのだろうし、先の用途にしても、たとえばウール兼肉のような場合も多いのだろうけど。

 それで思ったのだけど、これらの種類は、言うまでもなく人間によって作り出されたものだろう。少なくとも、いろんな地域に野生でいたものを家畜化し、選別し、それぞれの用途に合わせて育成してきたものだろう。これらの牛やヒツジは、今では人間の世話なしでは生きていられないだろう。また、もっといい品種が作り出されでもすれば、使われなくなり、育てられなくなって、絶滅しさえするものでもあろう、―事実、ネットの情報によれば、家畜でありながら”絶滅危惧種”であるものも少なくないとある。

 すでに食用の牛、ウール用のヒツジがいるというのに、「もっとうまい肉」「もっと柔らかい毛」のためにさらに新しい品種を作り出し、過去になった品種は廃れるにまかせてほっておく、というのも、思えばこれらの動物に対してずいぶん失礼であり、残酷なことである。また、少しでも発育にかかる費用を節約するため、非常に生育の速いニワトリの品種を作ったはいいが、そのためにこのニワトリは心臓や脚に異常な負担がかかり、―つまり肉体の発育のスピードに内臓や骨格のそれが追いつかないのだ―たとえそのまま飼い続けたにしても短命に終わらざるを得ない、という。また、養殖シチメンチョウの一種にいたっては、同じ理由で自分ではほとんど歩くこともできず、交尾すら自力ではできない(だから人工繁殖せざるを得ない)というから恐れ入る。子孫を残せない=生物の種として失格になるのなら、このシチメンチョウは、すでに「終わっている」種であると言わざるを得まい。

 また、馬などにも、同じようなことが言えると思う。競馬がなければサラブレッドは存在できないし、馬術がなければほとんどの温血種は無用となる。事実、自動車ができてから馬車用の馬(と軍馬)は激減したし、耕運機ができてから農耕馬は食肉用としてほそぼそ命脈をとどめるのみになった。

 ところで、急進的なビーガンや動物愛護家が、捕鯨船を追い回したり、養豚場に乱入したり、ロデオ会場を取り囲んだりといったことがよくあるけれど、彼らはこれをどう思っているのだろう。人間が馬を車に乗り換えたとき、非常に多くの馬が行き場を失い、処分されたことと思う。また、耕運機が普及したために、今まで鋤を引いていた馬や牛が行き場を失い、やはり大量に処分されたであろう。「そういう労働から解放された今の牛や馬は幸せだ」という考え方もあるだろうけど、結局、それは”使わなくなったものは捨てる””古いものからよりよい物へ”という信仰へのイイワケ、忌憚なくいえば良心へのゴマカシではないだろうか。

 進歩をあがめ、文化水準の高さを誇り、便利な上にも便利にと人間が勢いこめばこむほど、まだ使えるのにそのまま捨て去られていくものもまた、どんどんと増えていく。それは機械に限らない、―動物もまた、同じことである。船やら自動車やらがなければ、動物愛護家は北極の海や南アメリカの高地くんだりまで活動に出かけることなどできなかったろうし、ビーガンだって外国の果物や野菜やを自由に選んで食することなどできなかったろう。また、耕運機がなかったら、野菜や果物の価格は今よりはるかに高くなっていたのではないか。要するに、彼らは分明の発達のおかげで、彼らの欲する行動を心おきなくできるようになった。しかし、その影で、何百頭もの馬車馬や耕作牛が機械に取って変わられ、一方的に見捨てられ、食や住はおろか、種の存続さえできなくされた。また、動物愛護家らは、馬術やロデオが残酷だと非難する、しかしいったん馬術やロデオが廃れれば、人間には別の趣味があっても、馬術馬やロデオ馬には、種としての行き所はない、―それは、人間に、その用途のために人為的に作られた品種だからだ。

 進歩はいいことではあるけれど、単に進歩できるという理由だけで進歩するべきではないと思う。また、たとえ意味のある進歩だとしても、数多くの犠牲を伴う進歩もまた、考えものだと思う、―ましてや、その意味が、従来のものに比べてちょっと美味だとか、やや節約になるとかいう程度なら。「それは我々の関心とは全然関係のない話だ、我々に関心があるのは不幸な動物のことだけだ」と愛護活動家は言うだろうけど、結局のところ、「少しでもよりよい生活を」「少しでも進歩を」と信じて疑わない人間は、そのためにはやらでもの犠牲さえ辞さないところがある、―それがとどのつまり、動物を、不幸はおろか抹殺さえする結果を招来しかねないのは、過去から見ても、確かだと思われるのである。

 

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2019年3月15日 (金)

犬の断尾について・その2

 犬の断尾は、少なくとも現代ではほとんどファッション目的で、それほど意味はない…と考えていたのだけれど、意味がある場合もないではないかも、と思いだした。

 そのきっかけは、断尾が禁止されているイギリスの、ワーキング・コッカースパニエル(イングリッシュ・コッカーの1タイプ)の飼い主の記事をネットで見たこと。それは、断尾の是非を問う記事に寄せたコメントのひとつだけれど、それによると、そのコメント主は断尾しない、長い自然なシッポのワーキング・コッカーをペットとして飼っていた。ところがそのコッカー、飼い主のことが好きで仕方ないものか、飼い主が帰宅するたびに狂喜してシッポを振りまくる。シッポはすごい勢いで床を叩き、壁を叩き、とうとうシッポの先端が傷ついて出血し、それでもシッポを降りやめないから、壁から床から飼い主の衣服から、そこらじゅうに血が飛び散って「殺人現場みたい」になったというのだ。

 最初これを読んだ時、少し話が大げさじゃないかと思ったのだけれど、いろいろな情報を集めてみると、これは少しも大げさじゃないらしい。まず、シッポからの出血というのは、傷が小さくても量は結構なものなのだとか(犬はあまり痛がらないみたいだけど)。それから、シッポを振りまくってそこらじゅうにぶつけ、とうとう出血するにいたる、というのはいろいろな犬にあることらしく、ボクサー、ダルメシアン、コッカースパニエル、スプリンガースパニエル、ラブラドール、とちょっとネットで探しただけでもこれほど見つけることができる(スパニエル系には―セッターも含め―かなり多いらしい。ボクサーにも非常によくあることで、だからイギリスのボクサー愛好家には断尾を支持する人もいるくらい)。

 また厄介なのが、シッポの治療が大変難しいこと。包帯やテーピングをしてもシッポを激しく振ればたちまち緩んでしまうし、飼い主が目を離せば口でも取ってしまう。第一、嬉しいことがあれば相変わらずシッポを振りまくってあちこちぶつけまくるのだから、傷がふさがるヒマがない(中には、1年たっても出血してる、という人さえいた)。で、やむなくシッポの切断に踏み切る飼い主も多いのだけど、子犬の時と違って、成犬になってからの断尾手術はかなり犬の体に負担がかかるらしいのだ。―回復に数カ月かかる場合もある由。

 こういうあんばいだから、断尾という習慣には(犬種や犬の個性にも大いによることだけど)思いのほか身近な、現実的な、やむにやまれぬ理由が潜んでいたのかもしれない、と思われ始めたわけ。あるいは、もともとこういう理由があったのに、長い期間にそれが忘れられて断尾という形が目に障る時代になり、それを禁止するため今の時代にマッチする理由(残酷とか外見重視とか)を挙げ、禁止したのだが、すると昔の忘れられていた不都合がよみがえって来て、再びそれに悩まされることになった、ということかもしれない。

 また、自分のシッポを追いかけて遊ぶ犬も多いようで、見ているぶんには可愛いけれど、これもエスカレートすると自分のシッポに噛み付いて傷つけることが往々にしてある由。また、遊びではなくストレスが高じて自分のシッポを噛む犬もおり、いずれにしろ、長いシッポの存在は、犬にとっても飼い主にとっても、なかなか面倒のもととなる場合がないでもない模様。もちろん、根本的には服従のシツケの徹底とかストレスの軽減とかが問題解決の手段としては要求されるだろうけど、対症療法的に、傷つけられるシッポをなくす、というのも、たしかに一案には違いない。まあ次善か三善の策ではあろうけど、余儀ない緊急避難のようなものである。虐待とか、単なる目の保養とかとは、これはやっぱり別物だろう。

 こうなると、一見いいことずくめに見える「動物愛護」も、そう一筋縄ではいかないことがよくわかる。というか、動物だけでなく、動物と人間との関わりを考慮して、その上で愛護しなくてはいけないのだから、もとより両者のバランス、妥協を探っていかなければならないものであるのは確かだ。一方が正しく、一方が悪い、とかそんな単純なものではなかったらしい。

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2019年3月11日 (月)

Aces優勝!

 ウィペット&ラーチャー(グレイハウンド系のミックス)の精鋭をそろえたチーム、Acesが準決勝で敗れて決勝落ちしたのを嘆いていたのですが、今日CruftsのFBを見ると、なんと決勝戦にその姿が!どうやら、昨日一敗は喫したものの、サッカーのワールド・カップよろしく総勝利数でまさって決勝進出を決めたのか?もっとよく試合のシステムを勉強しとかないとダメだな〜

 さっそく動画を見てみると、決勝に進んだ4チームは、このAcesと、昨日Acesを破ったKarmandos、それに名前がダブるから姉妹チームかなんかなのかKarmandos Aline Forces、そして昨日フライボールのスピード新記録を樹立したというFocus。

 まず一回戦、Aces対Karmandos Aline Forces、これはAcesがあっさり勝利。今日はウィペットたちも落ち着いているようだ。

 二回戦、Karmandos対Focus。Karmandosは、Acesを破った昨日のような勢いがどうも感じられない。疲れがあるのか…Focusにストレート負けを喫する(3位決定戦では勢いを取り戻したように見えたから、惜しかった。一日目以外は試合前のコース練習時間がない(ただちに本番入り)から、それも関係するのかもしれない。犬のコンディション作りとかも難しそうだな…)

 そしてついに決勝戦!初戦をスピードで圧倒して司会者にStorming through!と叫ばせたAces、それに対し昨日俊足でコースレコードを塗り替えてみんなをあっと言わせたFocus、これはすごいゲームになる予感。なお、Focusのチームも足自慢のラーチャー揃い。

 まず第一戦(フライボールは先に2ゲーム先取したほうの勝ち)!前半はFocusが優位だったが、後半Acesと接戦となり、なんとフライボール史上初の同着、しかも昨日の新記録をまたもや塗り替えるレコードタイム!
 Acesの第二走者はウィペット(たぶん二年前にも出ていたShootsという犬)なんだが、これに走り負けないのだから、Focusの犬の速さがよくわかる。
 次いで第二戦。今度も前半はFocusが前に出るが、Acesの第三走者のラーチャーが逆転してリードを奪い、アンカーのウィペット(Hutsleという、三年前から出ていてとても有名)がそのまま逃げ切って勝利!にしても、Focusのアンカーのラーチャー(Panicという名前らしい)もおそろしく速い。ハッスルもすんでに捕まるところだった。
 第三戦。ここでAcesにミスが出る。第二走者のウィペット・シュートが戻る途中でボールを口から落っことし、Focusにポイントが入ってしまう。シュートはミスがたびたびある(昨日もあったな)、ウィペットの宿命か…
 第四戦、サドンデス・マッチ!今までどおり、前半をFocusがリードし、第三走者でAcesが巻き返す(Acesの第三走者、偉い!)。と、Focus、第三走者とアンカーとの中継にミスでもあったか、スタートをもたついた!その間にAcesのアンカー・ハッスルがみるみるリードを広げ、そのままゴールに一直線、勝利はAcesの手に帰した!
 いやー、すごい見応えのあるゲームだったな!

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2019年3月10日 (日)

ウィペット残念!(じゃなかった)

(追記:準決勝戦で負けたのは確かですが、しかし決勝に出場しました!たぶん、他の取り組みの結果で最終出場チームが決まったんでしょう、野球とかサッカーのワールドカップみたく。ああ、よかった。)

 クラフツのフライボール、ウィペット揃いのチームで注目を集めていたAcesですが、無念にも準決勝で敗退しました。

 二年前の失敗をまたやってしまった…ボールを途中で口から落としてしまってファウル&ファンブルしたボールをくわえ直したのはいいがコース外を直帰してしまってファウル、つごう2ポイント相手に献上したかたちで自滅。うーん、ウィペットの悪いところが出てしまったかな。

 もっとも、相手チームも―今年初参加だと思うけど―常連の強豪チームをこの前の試合で破るなど、相当に強い。優勝候補だな、これ。

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2019年3月 9日 (土)

ウィペット再襲!

 二年前、その神速ぶりでみんなを唖然とさせたウィペットが、再びフライボールのゲームに戻ってきた!それも、今回はメンバーすべてがウィペット(かウィペット・タイプ)だ!

 フライボールは見ての通り、4頭1チームで行うリレーのようなもの。1ゲームは2チーム対抗で行われ、相手より先に完走したチームが1ポイントをゲットし、2ポイント先取したチームが勝ち抜けとなる。くわえたボールを落としたり、障害を飛ばなかったり、スタートでフライング(これは犬を放す人間のミス)をしたりするとアウト(相手側に1ポイント入る)。

 ウィペットは小型のグレイハウンドみたいなものだから、他のチームの犬たち、たとえばボーダーコリーなどは、足の速さではまったく勝負にならない。そんな犬ばかりでチームを組むのは、それでは反則みたいなものではないかと思えるのだけど、実は、ウィペットだけでチームを組むというのはたいへんなギャンブル。というのも、足こそ速けれ、ウィペットは走って行って行ったきりになったり、途中でボールを落っことしたり、障害を飛ぶのを忘れて脇を駆け抜けたりといったミスがたいへん多い犬。事実、二年前、ウィペットを二匹入れたチーム(というのが、今回のこのチームなのだけど)は、そうしたミスであっけなく予選敗退している…

 上の動画など見たら、相手チームが心から気の毒になるばかりだけど、ひとつ間違えればあっさり自滅の可能性もあるのが、このウィペット・チーム。それに引き換え、ボーダーコリーやラブラドールは足こそ劣れ安定感がずっとある(ウィペットやグレイハウンドなどとコリーやラブラドールを交配したラーチャーという犬種(というか犬タイプ)は、だからとても人気)。普通はこうしたスピードと安定感とのバランスでチームメンバーを決めるのだけど、それを無視してあえてスピードだけにこだわったところに、このチーム(Aces Highという名前)の覚悟が感じられるというもの。まさしくカミカゼですな。

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2019年3月 7日 (木)

クラフト・ドッグショー

 イギリス現地時間7日から、世界最大規模のドッグショーを含むCruftsのイヴェントが始まります。

 ドッグショーなんぞ興味ない、という人にもおすすめしたいのは、アジリティーとフライボールのゲーム。アジリティーはドッグ・スポーツとしてもうおなじみだけど、フライボールはどうやらまだ日本じゃなじみが薄いかな、私も詳しくないけれど、4頭くらいが1チームを組んで、順番に一頭ずつ直線トラックを疾走し、トラックの端に設置されているボールをくわえて折り返し、スタート地点まで走り戻ると次の走者がスタートする、その速さを2チームずつで競い合う、というもの。まあリレーのようなものだけど、犬のやる気ぶりとチームの人間の気合いのすさまじさが見もの^^

 これは2017年のフライボール・リーグ戦からの、伝説?のウィペット(グレイハウンドの小型版)2頭の神速ぶりをまとめて編集した動画。

 YouTubeでライブもありますよ!

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