バレエ鑑賞

2019年3月17日 (日)

バレエ・じゃじゃ馬ならし2

 こちらは、『じゃじゃ馬ならし』主役のクリサノワのダイジェスト版。こちらはすばらしい高画質、これで見ると、カプツォーワはやっぱり年を感じささせぬみずみずしさ・キュートさいっぱいに目に映る、満足満足^^

 まず(森の道中→ベッドは長いのでざっと見)見通しての感想―1.クリサノワ大変だあ、これ、踊り通すのにものすごく体力がいりそう…2.お父さん(何とか娘をおとなしくさせて波風立たないようつとめるけれど、毎度さんざんな目に合わされる)ご苦労お察しします…

 見た感じ、カタリナ(クリサノワ)は一幕のペトルーシオ(カタリナの求婚者)とのキスの時点で、もう半分がたペトルーシオに参ってますな。「私に釣り合う男などいない」と豪語してわがまま一杯に振る舞っていたというカタリナだけど、そこはやはり世間知らずのお嬢さまで、女らしい妹とは反対の豪気な性格だけに、妹よりいっそう男に対して免疫がなかったもよう。キスの場面ではカタリナ以外の時間が止まってしまう演出で(ペトルーシオ役のラントラートフ、「だるまさんが転んだ」よろしく固まってる、大変そう)、「何?これは何なの?これがキス?この感覚はいったい何?私、どうなっちゃったの?」みたいな、何かの少女漫画から借りてきたような芝居が笑えます。で、その後も相変わらずペトルーシオとの大立ち回りは続くのだけど、何と言うか、あれはなかば「認めたくない自分」との戦いだと思います…聞くところによると、馴らされたのはむしろペトルーシオ、という意見もあったから、ペトルーシオの演技にも(カタリナ中心のダイジェストじゃわからないけど)最初の持参金目当てからほんとにカタリナへの愛情へというような、心境の変化をあらわす場面があったのかも。

 演技というのは、もちろん上手に巧みにやってくれればそれに越したことはないけれど、たとえイマイチでも「演技するのが楽しいな」感が出ていれば8割がた満足な気がする。ロパートキナみたいに演技にあまり表情を出さないように見える人でも、踊りに渾身を打ち込むタイプは、カルメンの踊りならカルメンに、オディールの踊りならオディールに、結局成りきってしまうから、それはそれでOK、というか大満足。いただけないのは、能面よろしく表情が固まっちゃってるのや、喜怒哀楽の表情がワンパターンなの。もっとも、演技というのはある程度まで修練の積み重ねでできるようになると思うし、さっき言った通り踊りの力でもカヴァーできる(だいたい、踊りはそのときの役の感情を表すべく振り付けられてるはず)と思う。だから、年齢や経験につれて演技がよくなっていくというのは本当だろう―もともと演技するのがキライという人は別として。上手な人がノリノリでやるのを見るほど楽しいことはないけれど、ノリノリでやっているうちにほんとに役になりきるというのもアリ。その点、この時の『じゃじゃ馬』はとてもうまくいった例なんじゃないかな…

 なお、「演技」そのものに関して。思うに、「演技」というのはもっとも原始的な意味において相手を欺くこと、そして自分を守ること、だと思う。「お芝居」「一芝居打つ」というようなことばはそれを如実に表しているし、小さな子供はほとんど例外なく、芸能人や両親といった人間はもちろん、犬や猫のマネまでやりたがるものである。心理的に不安定な子供や、敵に囲まれているスパイなど、「演技」が実にうまいものだ。だから、立派な芸人や役者に苦労人が多いのも珍しくないし、芸を磨くためにすすんで心身を苦しみにさらす人さえいたというのも不思議ではない。こうして見ると、基本的には誰でも一定の「演技」の力が、いわば本能として、備わっているに違いないと思う。それでも「演技」がうまい人と下手な人とに別れるというのは、天成の才能にもよるのだろうけど、生育環境や動機の有無が大きくものを言うのではないか。不満があっても表に出せない日々が長かった苦労人は、いやでも演技の力が身に染みついてしまっているだろうし、反対に、恵まれた満足の多い人生を送ってきた人は、演技のしかたもわからなければ、演技の必要がなぜあるのかさえよくわからないかもしれない。そういう人は、演技をウソの一種のように感じたり、子供っぽいことのように思って、たとえ必要に迫られたとしても、それを熱心に学ぶ気になれないかもしれない。
 バレエなどいうものは、よく上品な芸術の極みみたいに言われるものだけど、実のところ、その原点は「芝居」「演技」だったろう。今でも基本的には、やっていることはパントマイム劇と大差ないと思う。ストーリーが観客にあらかじめわかっているので、そのぶん踊りに重点が置かれているだけだ。それにしても、世間には「踊り」より「演技」に興味を寄せる人のほうがずっと多いのは、先に言った本能としての「演技力」が人すべてに備わっている以上、当然のことだろう。演技が必要な人生を経験してきた人のほうが、必要としなかった人よりはるかに多い、というのも言うまでもない。バレエだから当然上品にしなければいけない、演技は二の次でいい、などという考えがもしあったとしたら、それはバレエから活力を奪い、大衆の目に見えていた魅力を奪い、バレエをただひと握りのマニアだけの愛玩物にするものだ、と言わねばなるまいと思う(日本の相撲だって、相撲協会が「品格」とか唱え出してから一般の人気がガタ落ちになった。がんらい相撲は”格闘技”で、ファンはその荒々しさや鍛えた肉体のぶつかり合いに大きな魅力を感じていたのだから、それが二の次でよいとされれば、興味も半減してしまうのは当然だろう)。

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2019年3月12日 (火)

バレエ・じゃじゃ馬ならし

 毎度おなじみ、ニーナ・カプツォーワの『じゃじゃ馬ならし』(ダイジェスト版)。2019年、だから今年の1月の23日にあったボリショイ劇場での画像みたい。別に主役のクリサノワのダイジェスト版も同じ日づけであったから、あちらでは全幕通してのテレビ中継でもあったのかしらん、羨ましい…

 彼女ももう40歳か…という頭があるせいか、以前ほどのみずみずしさがない気がするけれど(画質のせいかも)、しかし十分満足。

 じゃじゃ馬ならしは、その名の通り、シェイクスピアが原作だけど、このバレエじゃ何ともかともユニークな役作り、扮装がなされている。青いミニスカのカプツォーワは、美人でモテモテのビアンカ役、その姉でじゃじゃ馬のカタリナはまったくハマり役、演技力はともかくもとても元気に楽しそうに演技をしてくれるクリサノワ。オフチャレンコはビアンカの三人の求婚者(賑やかでヘンなのと、ロマン過ぎてヘンなのと、まあ変だが許容範囲のまじめそうなの)のうちの一人。オフチャレンコ、アニュータの学生役もそうだったけど、貧乏そうな、まじめそうな役が妙に似合う…

 ビアンカは、家政婦(ジャージーのズボンに肩を半分出したセクシーな衣装の人^^;)の連れて来た賑やかヘンと、母親(←じゃなく未亡人の由。日本でいえば縁結び好きなおばさんなのか?仮面舞踏会みたいなマスクをつけたドレスの人)の連れて来たロマンヘンなのを拒絶して(当たり前だ^^;)まじめそうな最後の求婚者と結婚する。後半のシーンは、その結婚式でのパドドゥ。

 カプツォーワ、年は取ったかもしれないが、表現力はさらに磨かれてますな…同じシーンをスミルノワ&チュージンのでも見たのだけど、このスミ&チューのペアはものすごくダンスも達者で表情や演技も生き生きとしていながら、何かこう、プロフェッショナルな大道芸を思い起こさせられる…すごくうまい人が、自分はすごくうまいとわかっていて、自信満々にさあ見て見て、と離れ業を連発しているような感じ。それの何がいけないのかはわからないけれど、不満だというのは、おそらく結婚式らしいしっとり感に欠けているからだろう。スミ&チューのパドドゥを見ていて、おや、こんなコミカルな振り付けがあったっけと思ってカプツォーワ&オフチャレンコのを見直すと、この2人はそこを「おもしろい」より「かわいらしい」くらいに落として、いたって控えめにやっていた。だいたいこのじゃじゃ馬は喜劇だし、バレエはさらにおもしろおかしい演出満載なのだけど、この結婚式の、さらでも常のバレエであまり見ないような奇抜な振りが多いシーンで滑稽味を強調されると、いっそう舞台が見世物じみて見えてしまう。一場面だけを演じるガラとかではそれでよいだろうけど、喜劇とはいえ山あり谷ありのストーリーを通ってとうとう大団円の直前、というところで、やっぱりここも「おもしろい」というのでは、どうも一本調子で、盛り上がれなくないか。ようやく結婚式というロマンティックな場面で、扮装もそれらしく、音楽も荘重になったのだから、ぜひいくばくかの叙情味を味わわせてほしいところ…あざとい演出は、もうそれまでに堪能してお腹いっぱいなのだから。

 と、感覚的な不満を説明すれば、こんなに長く言葉を費やさねばならないのだけれど、これが技術的な不満だったら、「ジャンプが低かった」とか「リフトで一度ぐらついた」とか、ひと言ふた言で済まされる。だから、何であれ、減点方式の審査員的見方のほうが、新聞やネットでもよりたくさん採用されるわけだな。

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2019年2月 3日 (日)

バレエ「ボルト」

 ボリショイ・バレエ「ボルト」のDVDを買って見てみました。なぜ「ボルト」を選んだかというと、

1.メルクリエフが主役(級)だから。メルクリエフのダンスをよく見てみたかった
2.チラッと動画で見てみたところ、主役(級)の女性もうまそうだったから
3.ヤーニンが出てると知ったから

 1の動機に、3が背中を押したという感じかな^^;

 まだ1回見たばかりだけど、やはり他の人とは違うな、メルクリエフ…動きが速くて、滑らかで、緩急のつけ方がうまくて、演技もよろしい。やはり主役級で、ライヴァル役にあたるサーヴィンは、あれだけ踊れれば十分過ぎるくらいだとは思うけれど、しかしツヤというか脂身というか、何かが足りない感じ…足りてなくても別に差し支えはないと思うが、まあ好みの問題で。その点は女性のヤーツェンコも同じかな?もっとも、女性は複雑な心理の表現とかがないから、それほど不足感もしないけど。

 二幕の主役級で出てくるとても小柄な小泥棒、キャストを見たら日本人の岩田さんだった…サーヴィンやメルクリエフがよほど長身なのか、それとも岩田さんが日本人男性としても小柄なほうなのか、子供みたいに見えた…役にはそのほうがはまっているのだけど。

 まあ、欲目もしくはヒイキ目も多分にあるだろうが、やっぱりメルクリエフとヤーニンには踊るとすぐ目がそちらに惹きつけられるものがある。うーん、主役級で踊ってる他のがあればほしいなあ…なお、ヤーニンは管理職の役で、デニスが失職後クダをまいている酒場でホステス?(この酒場女性や客のキャストも、オシポワがいたりしてなかなか豪華…見てる時は気づかなかったが)といちゃつきながらソロで踊っています。この場面、音楽が「明るい小川」とあちこちでダブるので、思わずアコーディオン奏者の怪しい踊りを思い出してしまう^^;

 「ボルト」自体のストーリーは、実際にバレエを見てのとネット情報とをつき混ぜていうと、だらしない工場員デニス(サーヴィン)は職場でみんなが仕事中に呑気にタバコを吸っているのを同僚ヤン(メルクリエフ)に見咎められ、その告発で工場をクビになる。その晩デニスは鬱になって酒場でクダをまいていたが、客のカバンをかっぱらって捕まった小泥棒イワシュカ(ホームレスの子供、だそうだ。岩井さん)を助けてやり、その手を借りて工場の機械をこわしてやろうと思いつく。2人は工場に忍び込み、ボルトを機械に放り込んでおかしくすることに成功して喜ぶが、そこにヤンがやってくる。ヤンは機械が変になってるのに驚いてそちらに向かい、その隙に、デニスはヤンが機械を壊したと工場に連絡、駆けつけた警備員?にヤンは捕まってしまう。快哉を叫ぶデニスだが、その一部始終を見ていたたまれなくなったイワシュカが、真犯人はデニスだと暴露してしまい、その結果ヤンは解放されデニスが連行されて、一見落着…というもの。

 デニスがつかまって退場した時点でストーリーが終わってしまうので、それからはヤンとイワシュカと女性ナスチャ(工場の上司だけどデニスの元カノ、しかし今はヤンといい雰囲気、ヤーツェンコ)3人がお互い慰め合うように踊ったり、イワシュカが変な夢を見たり、ガスマスクの怪しい真っ赤な男4人が踊ったり、工場員が総出で踊ったり、踊りばかりでその後の顛末がよくわからず、はなはだまとまらない結末。このバレエは、まじめにストーリーを追わず、各場面場面を楽しむのが正解でしょう。…その点では、男ペアの踊りや、2人でなく3人での踊りや、体操着・水着での踊りや、蒸気を吹くロボットや、意味不明の軍艦や、他のバレエにはあまりなさそうな見どころが満載かと。イデオロギーがうるさいのはいやだ、という意見もあるかもしれないけれど、上記の通り、まったく中途半端なストーリーなので(しかも、普通に見ていればヤンよりもデニスに親しみが涌くようにできている)、全然イデオロギーの効果が出てなくて、安心して見ることができますよ^^;

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2019年1月 3日 (木)

能面のバレリーナ

 バレエはダンスと演劇の混ざったようなものだと思うけれど、そのどちらをより重視もしくは愛好するかによって、ずいぶんダンサーの好みが別れるところだと思う。というのが、今日、つい先日の大みそかにボリショイであった「くるみ割り人形」の動画を探していたら、大みそかではなくその前の日、―ハッキリいつかはちょっとわからないけど―のものが出てきて、そのバレリーナがまるで能面みたいな表情で金平糖を踊っているのにギョッとさせられたから。
 キャスト表をこねくり回してみるに、オブラスツォーワ?シュライナー?あたりかな(シネマのフィルム撮り日だったらしいので、シュライナーみたい)…能面というか、薄笑いが凍りついたような表情をいっかな変えないで踊り続けるもので、見ていると何だか呪いでもかけられそう。たしかに手先はよく伸びてしなやかで、踊り自体はうまそうだったけど。
 そう言えば、「アニュータ」をヌレエフ記念フェスティバルで演じた(モデスト役がゲストのヤーニン)動画を見たことがあるけれど、踊りはともあれ、やっぱりバレリーナの表情が微笑が固まったみたいで、つねに口が半開きで、何と言うか、マネキンみたいだった…それに、比較して相済まないが、手ぶりや身ごなしも、カプツォーワの時はコケットリーあふるるものが、そのダンサーが同じ手ぶりをやると、まるで目の前のハエを追っているようで、まったく味も素っ気もないものだった…というより、カプツォーワのを見るまで、その場面がコケティッシュなものだとは全然気付きさえしなかった^^;(関係ないが、それにひきかえヤーニンは見事だった。歩き回るだけだけど、ほんとにモデストが歩き回っているように演技が細かいし、ここという場面ではちゃんと音楽にノッて動いていた。…ああ、もし『ヤーニン全集』というDVDがあったら飛びついて買うのになあ。)(このバレリーナの名誉のために言っておくと、彼女は当時アニュータ初演で、それでも見る人が見て大変立派に勤めていたとの評だから、やはりバレエのどこを見るかで感想がずいぶん人によって変わってくるものなのだ。)
 思うに、バレエを見に来る人の大半は、そのバレエのストーリーをあらかじめ知っているだろう。いわば『水戸黄門』を見るようなもので、次はどんな場面になるかをちゃんとわかって見ている。そのような観客に対して、今さらストーリーをわかりやすくするために表情や身ごなしで演技して説明する必要はないと、そういう見方もできる。そんなことに費やす労力があれば、それをダンスそのものに注ぎ込むべきだ、という人もいるに違いない。その一方で、物語の筋がわかっているからこそ、それを演じる役者の表現力を楽しむ、という見方もある。黄門さまは今の○○より前の××がよかった、みたいな感じで、演技だけでなく、その役にふさわしい佇まいや身ごなしを求めて、それを眺めることで、いわば物語の世界に入り込むような錯覚を味わう一派だってたしかにある。
 手足がぴったり理想的に踊りの型にはまってさえいれば、多少無表情でも我慢するという人もいるだろうし、最高のテクニックで踊られても顔つきが蝋人形みたいなのは見たいと思わないという人もいるだろう(両者が兼備されていればそれが理想なのは当然だが。また、表情・技術の有無に関係なく、美形なら見ていられるという口もあったりなかったり)。
 能面でもダンスが完璧なのを取るか、ダンスが演技や表情に溶け込んでいるのに味わいを求めるか、バレエ・ファンにおいては、それは好き好きというものだろう。前者は限られた分野を細かく査定する審査員への道をたどることになろうし、後者はひしめく踊り手たちのなかからそれとは一線を画する「千両役者」に熱狂することになるのだろう。一般に、世の流れとしては、ふつう前者のほうがより高級とされ、後者は俗物ぽく見なされるのが常なのだけど、そこにはたいてい論じる側の「見栄」が、―当人は無意識にしろ―大いに関係している。専門家はシロウトより偉い、という考え。うーん、が、正直こういうことに、知識量が果たしてどれくらい役に立つのだろう。たとえば料理のようなもので、大学で料理学を研究している教授のほうが、「餃子の王将」のバイトよりうまい料理を作れるとは限らないのと同じようなものではないのかしらん。

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2019年1月 2日 (水)

アニュータ&首にかけたアンナ

 バレエのアニュータ(一部しか見ていないのだけれど)がとても気に入ったので、原作も気になり、青空文庫で読んでみた。とても短いので、ほんとにこれで全編なのかはわからないけど。原作名は「首にかけたアンナ」、作者はチェーホフ。

 原作では、アーニャと呼ばれてるほうが多いアニュータ(どちらもアンナの愛称)は、やはり貧家の娘、当時18歳。母が亡くなった後、―この母は、貴族の家で5年家庭教師をつとめた経験があり、ダンスもフランス語もコケットリーあふれる身ごなしをも身につけていたとある、―中学校の図画・書道教師の父は酒に溺れ、たちまち一家は極貧生活に陥ってしまう。中学生の弟たちはけなげに父親の酒癖をたしなめ、姉のアーニャは破れ靴下の繕いから市場への買い出しまで1人でやっているが、母ゆずりの魅力と教養を備えたアーニャは、現在の自分の境遇が我ながら不憫でならず、また一家の先行きが不安でたまらない。そこで、知り合いの紹介で、52歳で風采もサッパリだがとにかく金持ちの役人モデストと、まったくお金が目的の結婚をする。この夫はケチで、出世欲が旺盛で、説教癖があり、俗物で、貧家の出身のアーニャには校長先生か何かみたいに偉そうに見え、不満があっても口にすることなど思いもよらない。モデストは飾り立てたアーニャを連れ歩いては、より上流階級と近づきになって出世の手づるを得ようと苦心し、その意味ではアーニャに装身具など買い与えるのだけれど、あとで彼女が勝手にそれを処分していまいかと引き出しをチェックする締まり屋ぶり。当然、彼女の実家への経済的援助などとんと念頭にない。そういう夫や夫との生活に屈辱を覚えていたアーニャだったが、歳末の恒例の舞踏会に、閣下夫人の御意を得るべく夫が新調させたドレスに身を包んで表れるや、たちまち一身に満場の注目を浴びてしまう。母から習い覚えたコケットリー、ダンス、フランス語の会話、情熱、挑発、そのようなものがすべて時を得て輝き、閣下夫人はおろか、当の閣下の御意をも射止めてしまう。アーニャは、この世界こそが自分が生きる世界であり、ここでの生活が自分に当てはまる生活なのだと悟り、それまでのオドオドした卑屈な娘から、自信に満ちた誇り高い奥方へといっぺんに変貌してしまう。それからというもの、自宅を訪れる客は絶えず、パーティーだ劇だに毎日明け暮れ、夫と2人で食事することも稀になり、その夫といえば、閣下から勲章を授けられて満足至極で、彼女を見る視線もすでに上役を見る時の敬意の眼差しになっている。もはやアーニャは夫に対して言いたいことを遠慮なく言い、金を払わせ、請求書を押し付けている。夫の金で派手に遊び暮らすアーニャと貴族を乗せた馬車は、貧乏なままの父と弟2人のすぐわきを駆け抜けて行き、何か叫ぼうとする父を、弟2人が必死に引き止める。…

 と、原作はこんな感じ。アーニャことアニュータは、言ってみれば産まれる家庭を間違った娘のように描かれている。ほんらい社交界の華となるべく貴族の門に産まれるべきだったのに、貧乏教師の家に産まれてしまったので、しなくてすむはずの苦労をさせられて、ずっと屈辱と恥をくすぶらせているような娘。バレエと違い、貧乏時代の恋人は出てこないし、彼との別れや後の邂逅の場面ももちろんないので、ずっとドライに見える。モデストは、バレエとあまり違わないかな。それから、アルトィノフは原作にも出て来るけど、垢抜けない貴族地主といった感じで、バレエのような颯爽たる色男役ではない。その点は閣下も同じかな。…そうそう、原作では、アニュータと閣下(とアルトィノフ)との特別な関係は描かれておらず、まあ背景のような扱いで、中心はあくまでアニュータとその心理。勲章に対するモデストの執心ぶりも、原作ではバレエほど強烈なものではない。

 アニュータの父親は、けっこう出て来る。私はバレエ全幕通して見てないからわからないけど、バレエとそう変わらない性格じゃないかな。原作では、もともと小心で善良で、お洒落好きで、酒に溺れていて、そのせいで現職を失う恐れ大である。金のために30以上歳の違う男に嫁ぐ娘のアニュータに対し、すまない気持ちを持っているが、何か飽き足りないような気持ちも持っている。極貧なのに舞踏会に出たり慈善のお金を出したり(原作では飲み物一杯を高値で売るのだけど、バレエではプレゼントの包みとお札や指輪を交換してるとこがそうかな)して、なかなかの見栄っ張り。アーニャが間違って貧家に産まれた貴族の娘なら、こちらは貧乏が理解できない落ちぶれた貴族という感じかも。生活力は皆無だが、憎めなく、好人物だが、将来の見通しとかはゼロ。

 だいたい原作は淡々として、ドライで、平凡で、しかしおもしろくて、よくあるロシアの短編という印象かな?

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2018年12月23日 (日)

バレエ「アニュータ」から、グランド・ワルツ

 バレエ「アニュータ」のラストで踊られる、美しくも堂々たる、しかも哀愁あふれるワルツ。バレエでは、雪の舞うスケート場で華やかな軍服やマント姿の紳士たちに囲まれた女主人公アニュータが、毛皮の帽子に裾の長いドレス姿で華麗に舞う。

 アニュータはもと貧家の娘で、母の死後、残された父や弟たちのために、恋人と別れ、身売り同然にはるか年上の小金持ちの役人と結婚する。ところが夫はケチで虚栄心の塊で、アニュータの家族の面倒なんぞ見てくれない。後悔するアニュータだったが、ある夜、夫とともに参加した舞踏会で閣下(○○公爵とか将軍とかいうような大貴族だろう)に見初められ、夫の尻押しもあり、その愛人となってしまう。おかげで夫は念願だった勲章を閣下に授けられて大喜びし、またアニュータも閣下はじめその取り巻き連にチヤホヤされ、すっかりひとかどの貴婦人となり、これまた得意となる。

 雪の舞う夜のスケート場(ロシアでは冬になるとわざと公園の道などに水をまき、一大スケートリンクにしてしまい、老いも若きも、ある者はウォッカなども持って、そこで遊び興じるそうな)、美しく装ったアニュータは、閣下やその取り巻き連らの腕から腕へと蝶のように踊る。そしてふと顔を上げると、そこに見たのは、新しい女性とむつまじく踊るかつての恋人の姿だった。呆然とするアニュータの前を、彼は新しい恋人にうながされ、そそくさと去っていく。立ち尽くすアニュータ。が、その手を閣下と取り巻きの貴族が左右から取ると、再び踊りだすのだった…

 この壮麗で、どこか物悲しい郷愁を帯びたワルツは、この場面にまったくしっくりしている。

 この場面をカプツォーワの名演技で味わいたい方は、こちらの記事の動画の33:10あたりからどうぞ。

 こちらは伝説的?アニュータ役マクシモワの演じる「アニュータ」。映画版かな?踊りはさすが、舞踏会の場面もほんとの建物らしい、閣下とのひとときのあと、階段の手すりを滑り降りて士官2人の腕に飛び込むところがいいな〜。が、最後の場面はもっと辛辣な演出になっている。

 見たい方は、こちらの動画の最後のほうをご覧ください。

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2018年12月17日 (月)

カプツォーワの「アニュータ」

 「アニュータ」といえばヤーニンのモデスト役の神がかりぶりが思い浮かぶけれど、では肝心のアニュータ役はといえば、誰のが有名なのだろう。ルンキナのがよかったと聞いたことはあるし、他にも誰かユーチューブで見たことがあるけれど、このたびカプツォーワのを見つけたので、これで大いによしとする。

 バレエ「アニュータ」のあらすじはこちら

 この動画は、「アニュータ」全幕(おそらく)からカプツォーワが活躍するところを抜粋して編集したものだと思う。根拠はないけれど、2012年のボリショイシアターとかじゃないかな…ちなみに、ここではモデスト役はヤン・ゴドフスキー、舞踏会でアニュータとしんみりねっとり踊る紳士アルティノフ役はヴィタリー・ビクティミロフだと思う、たぶん。

 昔の恋人の学生オフチャレンコとの正統パドドゥもきっと素敵なんだろうけど、舞踏会でアラレもなく弾けるアニュータの場面がとてもいい(このダンス”タランテラ”はこのバレエでもっとも有名)。いつもはその演技の素晴らしさのほうに目をひかれるカプツォーワなんだけど、ここはダンスもすごくいい。紳士アルティノフとのパドドゥも、同じ場面を違うペアので見たことがあるけれど、その時はただ延々と踊るだけで退屈な感じだったが、このペアのは全然違う。見ていてまったく飽きない…このパドドゥなら、これをオカズにおいしくごはんを食べたりお酒を飲んだりできる。

 カプツォーワのダンスのなんとなめらかで、しなやかで、表情豊かなこと。それに共鳴したのか、(たぶん)ビクティミロフの踊りも適度に派手で、大きくて、とてもいい。それにしても、カプツォーワのこの場面はほんとうに感心した…まるで女優のようなバレリーナだと聞いたことはあるけれど、ここでは、まるでバレリーナのような女優だと言ったほうが適切なのではないかと思えるくらい。誘惑的、挑発的、熱が冷めてしらけた感じ、自堕落な感じ、すべてが見事に、かつ自然に、表されている。いや、バレリーナができなくなっても、女優として十分第二の人生が送れそう。

 私は馬場馬術もちょっと好きで、たまに趣味的に見ることがある。で、今もてはやされているワースとかデュジャルダンとかは、以前からの古典にさらに磨きをかけたものであり、その延長線上にあるものだと思う。一方、私の大好きなガルは、古典から発生した新しい分野であると思う。どちらがいいかとか正しいかとかは、試合でも何でもないのだからどうでもいいけれど、前者は専門家に気に入られることが多く、後者はシロウトを喜ばせるものが多いのは事実のようだ。私は中国文学を専門にしていた一時期があるのだけれど、詩文の歴史もまったくそうで、前者の杜甫、後者の李白などはその代表だろう。馬術であれ詩文であれ、前者は規格への完璧なマッチング、ミスがほとんどないこと、ルールにしたがって外れないことが尊敬の的とされるし、後者は従来にない新鮮な興趣、誰にでもわかる理解しやすさ、親しみやすさなどが歓迎され、時には熱狂の対象ともなる。元来は両者とも根を同じくしているのだけど、両者が対立しやすいのは、一見正反対のもののように見えるからだ。ことに前者の擁護者が後者を論難することが多いのは、思うに、規格やルールは可視化できるけれど、情熱や興奮は可視化できないという点が大いにあると思う。可視化できないものは、存在が証明できないので、何だか不安定で、軽薄で、浮わついたもののように感じられるのだ。それに対し、「5歩であるべきところが4歩だった」とか「韻が一箇所踏めてなかった」とかいうことは、ルールさえ知っていれば誰の目にも明々白々なことなので、安心してそれを指摘もできれば非難もできる。「なぜあれはこれよりダメなのか」を証明しやすいのだ。バレエもまた、「あのバレリーナはこのバレリーナより優れている」みたいな議論がたまにあるところを見ると、やはりいくらかその伝であると思う。

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2018年12月10日 (月)

カプツォーワのシルフィード

 いや、ずーっと見たかったニーナ・カプツォーワの「ラ・シルフィード」の動画を、親切などなたかがユーチューブに上げてくださりましたよ。

 ポワントで妖精といえば、カプツォーワにぴったりだと前から思っていたし、経歴なんかを見るとやっぱりハマリ役と見えて若いころから何度も踊っていたようだし、さぞや似合うだろうと想像していたのですが、まことに期待を裏切らない、素晴らしいシルフィード…あ、たぶん、相手役のオフチャレンコもとてもいいと思う^^;

 ざっとあらすじを言えば、これはオフチャレンコの衣装でわかる通り、昔のスコットランドが舞台。恋人との婚礼を控えたジェームズが暖炉の前でうたた寝していると、そこに風の精シルフィードが現れる。このシルフィードはジェームズのことが好きで、ジェームズの周りで嬉しそうに踊っているが、ジェームズが目覚めると暖炉の煙突から逃げていってしまう。その後、窓から再びジェームズのもとに現れたシルフィードは、ジェームズの結婚を知って悲しげに嘆く(この時、このありさまを花嫁に片思いしていた友人が目撃)。婚礼が始まり、花嫁花婿が指輪を交換しようとすると、シルフィードが指輪を奪ってジェームズを森に誘い、ジェームズや仲間のシルフィードたちとともに楽しげに舞い踊る。ジェームズのほうもすっかりシルフィードが好きになるのだけれど、相手は風の妖精なので、抱きしめようとしてもいつもするりと手を抜けていってしまう。ジェームズは占い師の魔女―彼女が不吉な占いをしたと言って先に懲らしめたのも忘れて―に知恵を借り、シルフィードの翼を奪うべく、魔法のショールをシルフィードにまとわせる。と、シルフィードの翼は落ちたが、しかしシルフィードも苦しみだした―ショールは、魔女がジェームズに仕返しをするため与えたものだったのだ。シルフィードはジェームズに奪った指輪を返すと息を引き取ってしまい、ジェームズはそこに泣き伏す。
 一方、婚礼の途中で置いてきぼりにされた花嫁は悲嘆し、ジェームズを見限って彼女に片思いしていたジェームズの友人と結婚してしまった。婚礼の行列は呆然とするジェームズの目前を過ぎていく。いよいよショックを受けたジェームズは、絶望に打ちひしがれて、自らもまた息絶えてしまう。

 うーん、なければ収まりが悪いとはいえ、最後の場面は余計だな…シルフィードのためだけに死んだほうが劇としては美しかったろう。けど、余計とはいえ、これがあると変に悲劇が現実的で、せち辛く意地悪になって、一種痛切な味わいがしないでもない。

 カプツォーワのシルフィード、かわいい〜、まったくの妖精。いたずらっぽい仕草や表情が何とも言えず。しかし、最後に死ぬところは、ほんとうに可哀そう…心なしか、音声にも、観客の鼻をすする音が。しかし、いかにも名演技なので、ウルウルしながらも何回も見てしまう(そしてジェームズのバカ、と思ってしまう)。
 この動画はカプツォーワのシルフィードが活躍する場面ばかりを集めたダイジェスト版だけど、これを見ると、全幕通して見たくなってくる…あえて難を言えば、これを見ていると、あちこちで「明るい小川」に思い当たるところがあって、ニヤニヤしてしまうこと^^;

 ついでに、別の時のだけど、ヤーニンが演じるシルフィードの魔女(魔女役は男性でも女性でもする)。

 こんな怖い魔女を怒らせると、あとでとんでもないしっぺ返しが来るということを、ジェームズ君はちゃんと知っておかなくてはならないぞ。

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2018年12月 7日 (金)

ザ・レッスン

 これまた一般の「バレエ」の概念からは程遠い、奇妙な、不条理芝居めいたバレエ、「ザ・レッスン」。

 黄色い陽気なレオタードに身を包んだかわいい女生徒が、なんだか精神的に不安定そうな男性バレエ教師にバレエのレッスンを受ける。その二人のレッスンの伴奏をつけるのは、どこかよそよそしげな女性ピアニスト。

 「ザ・レッスン」は半時間ばかりの一幕もので、舞台の転換とかはないけれど、動画の部分は前半の一場面。バレエ教師が生徒にバーレッスンを指導しているうち、だんだん素振りが怪しくなっていくところ。

 

 これは英ロイヤル・バレエ、教師役がヨハン・コボー、生徒役がアリーナ・コジョカル。このペアのここの演技はたいそう素敵で、コジョカルは無邪気なかわいい生徒そのものだし、コボーは妙にビクビクオドオドした不審な教師。生徒が開脚しすぎてイテーという顔になったり、教師が指導中に生徒の胸に触りそうになりアワワ〜となったりするのは、ダンスの振り付けのようなもので誰が演じても同じことをするのだけど、このペアのがいちばんコミカルでいい感じ。これが途中から、次第に不安げな、荒々しい雰囲気に変わっていく…コメントに「最後まで見てみたい!」という意見があるのももっともで、私も見られるものなら最後まで見てみたい(もっとも、最後は、えらいことになるのだけど)。

 こちらはボリショイ、教師がドミトーリィ・グダーノフ、生徒がニーナ・カプツォーワ。こちらもかわいい生徒だけど、この場面に関してはコジョカルに負けるかな…が、色気では勝るので、教師が生徒の太腿の魅惑に心のバランスを失いかけるところでは、説得力が上かも^^;グダーノフの先生は、コボーよりずっと地味な感じだけど、生徒に密着して肩にアゴを乗せるところがなにげにいやらしい。それと、バーレッスンの時の動きが水際立って美しくてビックリ、さすが先生。

 それからこれは、画像が悪い(1998年)けど始まりから前半部分ぜんぶの動画。先生がセルゲイ・フィーリン、生徒はインナ・ペトロワ(この御両人はもとご夫婦だとか)。ボリショイかな…
 先生の登場の前、生徒が授業を待ちかねて嬉しげに1人で踊る場面で「それだけ踊れたら習わなくていいじゃん」と突っ込みたくなるのはお約束。
 で、先生役のフィーリンはどうかというと、これが見るからに変質者。コボーやグダーノフのは、まだしも一見常人に見えたけど、フィーリンのはもう最初っから100%ヤバい…と思っていたら、これが後半になるとさらにエスカレートする!もう、鬼ですよ、鬼畜生。最初の変質者ぶりがおとなしくマジメに見えるくらい。
 これ、画像が荒くてモノクロなのが、いっそう怖く見せてるんだろうな…精細なカラーだと芝居臭かったり仰々しく見えたりする部分もあるのだろうけど、画像の粗さがうまくそれを隠して、かえって一種の味わいというか、陰惨な空気を出している。何にしろ、この先生が、別の場所じゃ白鳥のプリンスであるとは到底思えない感じ^^;

 その怖い後半と、このレッスンの結末が如何に相成るかを見届けたい方は、こちらをどうぞ。

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2018年11月23日 (金)

「アニュータ」のヤーニンのダンス

 「アニュータ」はバレエだけど、ストーリーがハッキリした、一種ソープドラマみたいなバレエ。喜劇でもあれば、悲劇でもある内容。

 アニュータは、主人公の娘さんの名前。アニュータは若く美しく、似合いの恋人もいたのだけど、家庭の貧乏にせまられて、やむなくハゲでチビでデブでそのうえドケチだが小金持ちの役人モデストと結婚する。ある晩、モデストといっしょに舞踏会に出席したアニュータは、その美貌を貴族の閣下に見初められ、夫のモデスト公認(というかその薦め)で閣下の愛人となる。モデストは閣下への献身?により、かねての念願だった勲章を閣下からさずけられて有頂天となり、アニュータはアニュータで、貴族のぜいたくな生活と閣下の寵愛にすっかり満悦し、相変わらず貧乏に苦しんでいる実家の家族のことをすっかり忘れ果て、道ですれ違っても気がつかないまでになる、というストーリー。

 こういう”妻を売って身を立てる夫”は、『金瓶梅』とか『紅楼夢』といった昔の中国の小説にはよく出てくるもので、話としてはいかにもひどいけれど、当時の世相として、貧乏人と貴族との格差が現代では思いも及ばぬほど絶大だったこと、それは経済力のみならず法律上でもそうだったこと、等をわきまえておかなければならないと思う。当時だって、妻に身を売らせてもうけるような夫が、大いに軽蔑され非難もされたのは現在と同じだったけれど、当時は、そうしなければ貴族に対して罪になるという考え(あるいは言いわけ)もまた通用したのだ。逆らえば、職を失ったり、刑務所に入れられたり、最悪の場合は殺されたり流罪にされたりする恐れさえあった。―しかも、それがある程度法律でも認められてもおり、”地獄の沙汰も金次第”で少々度を越しても貴族は何とかなったのだ。そういう世相である以上、無実の罪に落とされるよりは、目をつぶるかわりにもうけるだけもうけよう、という気に小市民がなっても不思議ではない。そして、不思議ではない以上、世相一般も、そういうことに対するモラルが今よりずっとゆるかったのである。
(もっとも、中国の小説の場合は、身を売る妻のほうもしっかり相手から金を引き出し、家計の足しにするのを忘れないのだけど。ロシアと中国では「家族意識」に差があるのかもしれない。)

 「アニュータ」は貴族の閣下とそれにへつらう役人との人間関係だから、格差はそこまで極端ではないけれど、それでも似通ったものはある。勲章を首から下げることに熱烈な憧れを持っていたモデストのように、特別執心する対象がある人間なら、現代でも、権力者にすり寄って妻をも奉りかねないようなのは、いないでもないのでは…

 さて、ストーリー中の役柄としてはずいぶんひどいモデストを演じているのは、バレエ・ダンサー中随一の腕達者ゲンナジー・ヤーニン。閣下から勲章をいただき天にも上る喜びを味わう場面&役所の下役たちからうやうやしく奉られてご満悦の場面。

 

 ろくでもない行いで手に入れた勲章なのだけど、あまりにも歓喜はなはだしいありさまが笑いを誘う^^;いとおしげに首に手をやったり、威張ってふんぞり返ったり、急にへたへたとなって十字を切ったり、かと思うと嬉しさのあまり欣喜雀躍したり…つい「よかったね♪」と声をかけてしまいたくなるほどの喜びよう^^;
 職場で部下たちにヘイコラされる場面では、一転して「余は叙勲者であるぞ」状態。床にひれ伏す(倒れ伏す)部下たちを跨いで歩き、最後はお尻を踏んづける傲然ぶり。

 次いで、職場での精励?ぶりと閣下の前での縮こまりぶりがあざやかな場面(先の場面の終わりのシーンでのスピン&ポーズもすごい)。

 部下が上役から書類を受け取る踊りというのも珍しいのでは^^;
 ここでの圧巻は、名づけて「そろばんダンス」。ロシアのそろばんは(そろばんはいろんな国にあるらしいが)縦方向に持つと見えるけど、それを手に持って注視して上半身を動かさず、足だけで、その場を動かずに踊る。どんなバランスをとっているんだろう^^;そして閣下がやって来ると、にわかに硬直して棒立ちになり、文字通り小腰をかがめてごあいさつ。閣下がいなくなると、今度はそろばんを振り回しつつ勢いよく踊りだし、右に左に縦横無尽だが、またもや閣下が入ってくると、たちまち棒立ちになってペコペコとごあいさつ。―この時イネムリしていた部下は、そろばんで顔をこするお仕置き^^;
 最後、後ろ向きで、ポワントでダダダダーッと袖に引っ込むところもすごい。
 というか、この幕、バレエというよりほとんどお芝居―無言劇じゃないか^^;

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