歴代評・李煜

李煜

937978>字は重光、初名は従嘉。「李後主」と一般に呼ばれる。李璟(元宗)の第六子、南唐の最後の皇帝。開宝八年、38歳の時に宋に降伏 し、汴京に連れて来られたが、3年後の太平興国三年に卒した。忌日に楽を奏したことや作った詞「虞美人」(春花秋葉何時了)の句を宋帝に憎まれて毒殺され たともいう。国滅んでからの「涙で顔を洗った」日々に作った切々たる詞は、五代詞の最高峰とされる。

『古今詞話』清・沈雄

・楽府紀聞曰、後主附宋、与故宮云、此中日夕以眼涙洗面。毎懐故国、詞調愈工。
(「楽府紀聞」(未詳)に言う、後主が宋に降ってから、昔の宮人に書を与えて言った、このごろは朝晩流す涙で顔を洗っていると。つねに故郷を慕い、詞はいよいよ精妙になっていった。)

『介存斎論詞雑著』 清・周済

・李後主詞、如生馬駒、不受控捉。
(李後主の詞は、生きのいい馬のようで、抑えられたり捕らえられたりするのを受け付けぬ。)
・毛嬙、西施、天下美婦人也。厳妝佳、淡妝亦佳、粗服乱頭、不掩国色。飛卿、厳妝也。端己、淡妝也。後主、則粗服乱頭矣。
(毛 嬙(春秋時代の美女)、西施(中国四大美女の一人)は、天下の美人である。着飾った姿も美しいし、あっさりした身仕舞いもまた美しく、粗末な服に乱れ髪を していても美貌が損なわれることはない。温庭筠の詞は着飾った姿である。韋荘の詞はあっさりした身仕舞いの姿である。李後主の詞は、粗末な服に乱れ髪の姿 である。)

『詞壇叢話』 清・陳廷焯

・後主小令、冠絶一時。韋端己亦不在其下。終五代之際、当以馮正中為巨擘。
(李後主の小詞は、一時に冠絶する。韋荘の詞も、おさおさそれに引けを取らない。それでも五代では、まさに馮延己をもって巨匠とするべきだ。)

『人間詞話』 王国維

・詞人者、不失其赤子之心者也。故生于深宮之中、長于婦人之手、是後主為人君所短処、亦即為詞人所長処。
(詞人とは、その赤子の心を失わない者のことである。ゆえに、深宮の中で生まれ、婦人の手で育てられたことは、後主が君主たるには短所となったが、詞人たるには長所となった。)