歴代評・柳永

柳永

<生没年不詳、岩波文庫「中国名詩選」によると987?1053>字は耆卿(きけい)、初名は三変。崇安(今の福建省)の人。伝説によれば、若い 頃一度科挙(当時の国家公務員試験のようなもの)に合格しかかるも、かつて作った遊蕩生活を賛美する詞が災いして、不合格の憂き目にあったという。中年に 到って名を改め、科挙に合格したものの、出世することなく地方で逝去した。当時「井戸のある所では柳詞が歌われるのが聞かれる」と言われたほど彼の詞は人 気があり、またその流行は外国にまで及んだとされる。慢詞(長編の詞)を得意とし、情景描写に特にすぐれるが、「俗」と批判されることも多い。

『苕渓漁隠詞話』宋・胡仔

・柳三変游東都南北二巷、作新楽府、骪髀従俗、天下詠之。
(柳永は汴京の南北二巷<色町か>に遊び、詞を作ったが、委曲を尽くして流俗にかなっていたので、天下の人はこれを歌った。)
・柳之楽章、人多称之。然大概羈旅窮愁之詞、則閨門淫媟之語。
(柳永の詞を人はよくほめるが、たいてい旅愁の詞でなければ、エロティックな詞だ。)

『楽府指迷』宋・沈義父

・康伯可・柳耆卿音律甚協、句法亦多有好処。然未免有鄙俗語。
(康与之<南唐の詞人>・柳永の詞は音律は見事に調和し、句法にもまたたくさんいい所がある。しかし、俗っぽい語があることは免れぬ。)

『古今詞話』清・沈雄

・子野・耆卿斉名、而時以子野不及耆卿者。子野韻高、是耆卿所乏処。
(張先・柳永は声名を等しくしていた。しかし、時に子野は柳永に及ばないという人がいた。だが子野の持つ気韻の高さは、柳永には乏しいものだ。)
・子野詞勝乎情、耆卿情勝乎詞。
(張先はことばが情を超えており、柳永は情がことばを超えている。)
・柳詞格不高、而音律諧緩、詞意妥帖、承平気象、形容曲尽、尤工於羈旅行役。
(柳永の詞は格調高いとはいえない。しかし音律は調和していて、詞意はしっくりし、太平の気風があって、形容は委曲を尽くしている。もっとも旅愁の詞にたくみである。)
・耆卿詞輔叙展衍、備足無余、較之花間所集、韻終不勝。
(柳永の詞は叙述がゆきとどき、不足なく言い尽くされているが、『花間集』<五代の詞集>の詞などに比べると、結局風韻において劣る。)
・葉少蘊曰、嘗見一西夏帰朝官云、凡有井水飲処即能歌柳詞。
(葉少蘊(宋の文人・葉夢得)が言った、かつてある西夏(当時あった中国奥地の異民族国家)から帰朝した官人と会ったことがあるが、彼が言うには、およそ井戸の水飲み場があればそこでは柳永の詞が歌われていたと。)
・吹剣録曰、東坡在玉堂日、有幕士善歌。因問我詞何如耆卿。対曰、郎中詞、只好十七八女子、執紅牙按歌楊柳岸暁風残月。学士詞、須関西大漢鉄綽板、唱大江東去。為之絶倒。
(『吹 剣録』(宋・兪文豹撰)に曰く、蘇軾が官にあった日のこと、幕僚に歌のうまい者がいた。そこで蘇軾が彼に質問するよう「私の詞は柳永と比べてどうかね」。 幕僚は答えて言った「柳永の詞は、178の娘が赤いカスタネットを鳴らしながら『楊柳の岸、暁風に残月』(<雨霖鈴>中の句)と歌うのにようございま す。あなた様の詞は、関西の大男が鉄板を叩いて『大江東に去り』(<念奴嬌>中の句)と唄うのがようございます」。蘇軾はこれを聞き、抱腹絶倒した。)

『介存斎論詞雑著』清・周済

・耆卿為世訾謷久矣。然其鋪叙委宛、言近意遠、森秀幽淡之趣在骨。耆卿楽府多、故悪濫可笑者多、使能珍重下筆、則北宋高手也。
(柳永の詞は世間にそしられてきて久しい。しかし、叙述はゆきとどき、ことばは身近だが情意は深く、奥ゆかしい淡雅な趣きが骨に徹している。柳永の作品は多いので、いいかげんで笑うべきものも多いが、よく自重して作りさえすれば、北宋の名手といえるのだ。)

『詞概』清・劉煕載

・耆卿詞、細密而妥溜、明白而家常、善於叙事、有過前人。惟綺羅香沢之態、所在多有、故覚風期未上耳。
(柳永の詞は、精密にしてなめらか、明白にして平常、叙事にすぐれる点は前人を凌駕している。ただ脂粉の香がすぎる所が多々あるので、風韻に今ひとつ乏しい気がするばかりだ。)